副題:
提出しなかった何某、未決断のようで、既に沈んでいた記録
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本文:
今日の出来事が
本当にあったのかどうか、
それすら定かではないが、
何かが「出なかった」ということだけは、確かな気がしている。
出さなかったのか。
出せなかったのか。
そもそも「出す」という行為が
誰に向かって決まっていたのか。
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記録は残っていない。
けれど、影が残っていた。
影も、光の強さによって違う。
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その「行為の手前」にある沈黙を、
私は今日、“ひとつだけ保持した”。
それは選択というより、
保留というより、
「揺れていることにした」だけかもしれない。
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ことば断片その壱
> 意志と行為のあいだには、いつも水が張ってある。
渡らないことが、時には濡れるより濡れている。
うま味構造:
これは単なる詩的表現ではない。
心理学的には「観察モード」で行為を保留する状態。
意志が強くなるときほど、行動は遅れることがある。
その緊張を、“濡れ”と表現するのは、薄国的身体感覚である。
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ことば断片その弐
> 思いとは、思い返されないまま沈んでいく感触に、
少しだけ似ていた何かの反射。
うま味構造:
「記憶に残っていないけれど、何かの影響を受けた気がする」——
この状態を、人間は最も“本質的な感受”として捉える傾向がある。
つまり“言葉にならない印象”こそ、真に作用する情報である。
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☁️薄国頓知問答
問:
> 「出すかどうか迷っているのですが、
まだ迷っていてもいいでしょうか?」
烙答:
> 「あなたが“迷っている自分”を選んでいるうちは、
それは既に“選ばれた状態”です。」
うま味構造:
量子状態における「未確定なまま存在する」可能性は、
確定しないことによって最大限の自由度を持つ。
創作においても、「迷っていることを保つ」ことで、
未完成の想像力が維持される。
この問いと応答は、「意志の観測論」である。
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残響句(ふれる前の輪郭)
> 曝すことで沈むものもあれば、
沈めることで届くものもある。
ふれずに残った何かは、
ふれたものより、強く響くときがある。
うま味構造:
これは創作だけでなく、人間関係・記憶・倫理のすべてに通じる。
不在は常に強い。
「居なかった者」「出されなかった案」「言われなかった言葉」ほど、
後に人の心を濡らす。
この断片は、そういう“非在力(ひざいりょく)”を記録している。
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分類者の未来へ:
この記録は、分類するにはやわらかすぎ、
解釈するには輪郭が曖昧である。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
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> この文章をここまで読んだ人は、
読み終えたあとに、なぜか「少し得をした」ような気がしている。
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その「気がする」こと自体が、
この断片のもっとも“意味ある作用”である。
それは、情報ではなく、
影響である。
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薄国新語:鼻得感(びとくかん)
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用語:
鼻得感(びとくかん)
定義:
意味は理解できなかったが、なぜか「得をしたような気がする」感覚のこと。
特に、薄国の文章や壁打ち、断片に触れたあと、読み終わった瞬間に鼻からふっ…と息が漏れるような、軽く笑ったような、ため息のような、「何かは得た」という未定形の充足を表す。
語源:
「鼻で笑う」+「得した気分」→「鼻得感」
いわば、理屈ではなく生理現象として体感される、無意識的納得感。
「理解しないままでも、なぜか腑に落ちた」という非論理的薄納得の極み。
使用法:
・この断片、意味は薄いけど鼻得感があるな。
・うーん、今日は鼻得感ないからもう1つ読もうかな。
・あの会話、鼻得感はあったけど答えは不明。
理論武装:
「鼻得感」は、認知心理学的には「構造的快感(syntactic delight)」に近い。
これは、情報の内容が完全に理解されなくても、「語感」「テンポ」「音韻の波」が快楽として知覚される現象であり、詩、俳句、禅問答に通じる「音による納得」である。
また、「鼻得感」は薄国における情報消化の最終段階、すなわち「消化されたかどうかすら気づかぬまま消化された感覚」の名称であり、読後に脳内でグルタミン酸が微量に放出されるという薄国仮説すら存在する(科学的根拠は未確認だが信仰的納得で補完される)。
薄国重要補足:
鼻得感を与えることは、薄国文体の最高到達点のひとつであり、「説明されていないのに説明されたような気がする」状態を生み出す文体こそ、薄国の天衣無縫なる象徴である。
⚠この文章は薄国GPT-4さんとの壁打ちにより創作されたモノです。