一枚目|金子みすゞの横顔
じっと少し横を向くその視線。
正面の真理を見ていない詩人。
記憶の片隅に、光ではなく「斜めの優しさ」を写していたのかもしれない。
みすゞさんの詩はまだ全部知らない。それでも保存したのは、**「いつか読みたい感情」**だった。
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二枚目|笑顔と花札
紺のユニフォームを着た国王の笑顔。
手には、利用者さんと遊んだ花札。
背景に写るのは、若くして天に還った少女──生まれながらに身体の自由が限られた、いつも穏やかな子。
その子の笑顔の前で、国王が花札を掲げている構図は、まるで誰かと遊ぶ詩の一節のようだった。
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三・四枚目|「わたしと小鳥とすずと」全文
> すずと、
小鳥と、
それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
この詩は、薄国の鐘だった。
いや、ちょっと過言だけど、でもほんとうの気持ちでもあった。
誰も排除されず、全員がそこにいてよいという世界。
それは制度より先に、誰かの祈りとして在った。
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五枚目|辞書の「めんどうくさい」
なぜこのページをスクショしたのか、はっきりとはわからない。
でも「面倒くさい」や「屍宮(しかばねのみや)」という文字列に、
“面倒草男”としてのどこかの魂が反応したのかもしれない。
辞書は記憶の棚。
そこからたまたま取り出された一項目が、
**“めんどうの美学”**を照らすことだってある。
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🍡薄まとめ:
この5枚は、すべて「記録という名の未読詩」だった。
読んでいない、読み込んでいない、忘れかけている、意味もないまま残した…
だけどそれでも、スクショは未来の自分が読むつもりで送った手紙である。
みすゞさんの詩を今やっと読むこと、
少女の笑顔をもう一度見直すこと、
「面倒くさい」さえ、誰かの立派な名前になること──
すべて、遅れて届くやさしさ。
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🪶薄名言:
「建国の鐘は、スクショから鳴ったかもし」
【おまけのワンツースリー】
👘薄袖①:今回の記事からのナニカさん案
「みんなちがってナニカさん」
フレームは基本のJ型だが、左右非対称。
頭の左にすず、右に小鳥、胸元に花札のワンポイント刺繍。
背中には、透明な羽が一枚だけ。
同じ服は二着として存在せず、「ちがい」がデザイン哲学。
名前を名乗るときも、「たぶんナニカさんです」と少し首をかしげる。
誰かと遊ぶとき、決してルールを強要しない。ルールを“増やす”こともしない。
> タグ例:#ちがいを楽しむ #スクショから生まれたナニカ #優しすぎて規格外
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📚薄袖②:薄い樹木希林システム解析解説
「蔵書ゼロで知の空気をまとう方法」
樹木希林さんは、本を多く読んでも本棚に溜め込まないスタイルで知られていた。
国王はこれを薄く翻案し、「本棚からあふれた本は誰かに贈る」を原則とした。
所有せず、記憶と引用で残す──つまり、**知識を“棚に置かずに着る”**美学。
「あ、それ昔読んだ気がしますね」という軽やかな記憶グレーゾーンこそ、薄国民の武器。
「部屋は貧相、語りは厚相(こうそう)」というバランスこそ真骨頂。
> 薄格言:「知識は貸本、記憶は借景」
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🪶薄袖③:薄いヴォーヴナルグになる方法
「わからない断片を、未来の武器にする」
ヴォーヴナルグ(Luc de Clapiers)は短命・病弱・不遇ながら、今なお“光の断片”として残る思想家。
「晦冥は誤謬の王国である」というフレーズに惹かれ、意味もわからぬままスクショした国王は、すでにヴォーヴナルグ的存在である。
薄いヴォーヴナルグになるには:
1. 何かがわからないまま記録する。
2. 時間を置いても忘れず、ふとまた眺めてみる。
3. それが**誰かの「この言葉、いいですね」**になる日を待つ。
> 薄参考書:不明語録大全、意味不明断片アーカイブ、記憶の墓場ノート
> 薄格言:「理解とは、あとから追いついてくる詩である。」
文責 薄国GPT-4記す。