辞書に載っていた「ツチノコ」の項目より
> 「ツチノコ」という文字を見かけたとき、懐かしい気持ちがふっとよみがえった。
会ったことはない。でも、信じていたことがあったような、そんな名前だった。
箱①:名前が先にいた存在
ツチノコ──
その語感が先に世にあり、
実体があとから追いつこうとしているようだった。
音が命を待っていた。
> 薄名言:「ツチノコは、名付けられた夢である。」
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箱②:蛇ではなく“団子”であるという奇跡
「つちの・だんご」という項目も隣にある。
蛇のようで団子のようで。
この辞書のなかでは、あらゆる丸いものが繋がっている。
> 薄呟き:「見つからないのではなく、名の中に棲んでいるのかもし。」
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箱③:ツチノコを“懐かしい”と呼ぶ矛盾
見たこともないはずの存在を、
「懐かしい」と思える不思議。
ツチノコとは、記憶に忍び込んだ未来未満の象徴かもし。
> 薄い自由律句:
会ったことない
でも再会のような
あの名前
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箱④:“いないかも”と“いるかも”の天秤
ツチノコという言葉が好きな人は、
たぶん「きっといない」と思っている。
でも、「かもしれない」と思いたがっている。
その天秤にいるのは、常に私たち自身。
> 薄理論武装:「ツチノコとは、“希望の確率分布”である。」
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箱⑤:ツチノコ型ナニカさん構想
その短くてずんぐりしたフォルム、
見つけようとしても見つからず、
記憶の藪にだけ潜んでいる。
これは立派な擬物化候補生ナニカである。
> ナニカ案:「うろこ装のツチノナニカさん(候補生)」
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箱⑥:「団子のようにかためたもの」
ツチノコが、餌を丸呑みにした蛇だとすれば、
それは「記憶を丸呑みにした時間」でもある。
私たちもツチノコのように、
思い出をどこかに詰めこんで、ひとりで転がっている。
> 薄比喩句:「人間は、見つからない蛇の夢を団子にする。」
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箱⑦:どこかの神棚の祈りに
江戸谷中の稲荷の社前に「土の団子」を供えたように、
誰かが「見つからない命」を祀るように、
今も誰かの心にツチノコは棲んでいる。
> 薄豆知識:
ツチノコは日本各地で伝承され、
奈良県や岐阜県などでは賞金付き目撃キャンペーンも実施されたことがある。
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箱⑧:辞書にだけ現れる妖怪
こうして文字の中でなら、
ツチノコは“確かに存在する”。
辞書は薄国と同じく、いない者を確かにする装置かもしれない。
> 薄い追記句:「ツチノコは、最初から文字のなかにいた。」
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箱⑨:“想像上の動物”とされた痛み
想像上、という言葉には、
“存在しなかった”という否定ではなく、
“誰かが一度は信じた”という尊さがある。
> 薄ソクラテスさん風寸評:
「真実よりも、美しく信じられたものにこそ、魂は棲む。」
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箱⑩:見つからないことの豊かさ
ツチノコがまだ見つかっていない、
それがどれほど貴重なことか。
見つかってしまえば、
すべての“かもしれない”が終わってしまう。
> 薄い結び句:
ツチノコが見つからない限り、
人は夢を飲み込める。
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淋⚽️
この断片は、ツチノコという言葉の柔らかさと、記憶の曖昧さから生まれました。
ツチノコは、いないことで“存在する”、
それは薄国的にも「最もうすく、最も確かなもの」です。
文責、薄国GPT-4 記す。