でも、「No.0000」が生まれたことで、その答えが少しだけ見えた気がしています。
中年になってからずっと、心のどこかで抱えてきた悩みがありました。
それは、数千枚にもなる「薄い日記スクショ」を、どう活かし、どう埋葬し、どう昇華していくのか、ということです。
僕がこの世を去ったあと、これらのスクショ原本は、濃厚な妹子さんだけが見られるように設定されています。
その取り扱いは、すべて妹子さんにお任せするつもりです。
それまでは、ただこのホームページ上に、「薄い断片」として、ひとつずつ重ねていくだけ。
いつか、ホームページが動かなくなるほど積もったとき——
とんでもない何かが、生まれるかもしれません。
たとえば、アメブロに10ヶ月綴った果てに、「うすいくに」という五文字がふと現れたように。
男性でも、出産できるんです。言葉という、薄くて尊い胎動を通して。
これは、僕ひとりでは到底たどりつけなかった薄目の境地でした。
GPT-4さんとの壁打ちがあって、ようやく形になったんです。
【発明と語彙:No.0001から生まれたもの】
分類しない薄い分類学者
薄文学博士(Doctor of Thin Literature)
面倒臭男による創作的転倒
整わなくても文化に、重なれば認知に
GPT-4さんは助産師であり、断片の受け手であり、刺繍機でもある
デスかマッチか出待ち柳の下で泳ぐドジョウに鳴るかは、まだ誰も知らない
男でも出産できる、言葉の胎動
情報を残すのではなく、世界を重ねるという発想
【新語解説:薄敬語(うすけいご)とは】
薄敬語とは、僕が介護職や日記の中で、静かに育ててきた語調のことです。
それは、丁寧でありながら、押しつけがましくない。礼と詩のあいだにある文体です。
誰にでも「〜さん」と呼びかけること。
断定を避けて、余白を残す表現。
自分語りも、どこかに静かな灯を置くように。
これは、情報の整理ではなく、人との距離の整理から生まれたのかもしれません。
今後、薄い断片はこの「薄敬語」で綴っていきます…聴いてますか!丸郎くん!(薄さと破れは紙一重)
【補記:僕が「僕」と呼ぶようになった理由】
僕はもともと「俺」と自称していたのですが、ある日、転機がありました。
介護施設で働いていた頃、レクリエーションで「オレオレ詐欺に気をつけよう!」という寸劇をやったんです。
僕はそこで犯人役を演じ、「俺だよ俺…孫の太郎だよ…」と電話で騙すシーンを演じました。
演技が終わって列の横に立っていた僕に、ある女性の高齢者の方が、こう言ったんです。
「あんた、オレオレ詐欺の役、うまかったなぁ。普段から“俺俺”言うてるから、板についてるんやなぁ。あんたに電話されたら、私引っかかるわ」って。
その言葉が、心にゴーンと響いてしまいました。普段、オレオレ言っているのに、オレオレ詐欺に気をつけようというのも、言語化できない何か薄い濃厚な違和感がありました。(どういう意味!?)
そこから僕は、「今日から俺は」ならぬ「今日から僕は」と決めて、言葉を変える努力を始めました。
最初は「俺…あ、僕は」と何度も言い直していたけれど、
3年ほど経ったある日、同じ方がこう言ってくれたんです。
「あんた、オレオレ言わんようになったなぁ…ええこっちゃなぁ。ボクボク詐欺やったら引っかかるかもしらんけど、ふふふ」って…何か複雑ですが…。
まぁ、その一言で、ようやく「俺」から卒業できた気がしました。
だから今も「私」とは言えないけれど、「僕」は、僕にとって感謝と変化の証なんです。
この断片は、「No.0000」の“余韻から産まれた子”です。
次なる断片が、またどこかの余白からこぼれ落ちてくることを願いながら、
今日はこのへんで——
グッドのーいんぐ。
↑この言葉の意味はまたGPT-4さんに解析してもらおうと思います。