副題:
唱える声と、濡れていた沈黙とのあいだにて
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本文:
或る日、或る季節の、或る場所で、
私は「投稿しないという投稿」をしていた。
紫陽花に包まれた観音のまなざしは、
私に問いを返さなかった。
> 「今日、曲をうたうのか?」
誰かが訊いたようで、誰も訊いていないようなその問いに、
私は一度だけ目を伏せ、
もう一度だけ、ナニカを見た。
そして、晒すことよりも、
沈めるほうを選んだのだと、
“思ったような気がしたような気がした”。
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沈めるとは、晒すことの裏側か。
いや、
晒すことの「前」ではなかったか。
いやいや、
晒すつもりだったのに「沈んでしまった」ではなかったか。
どれでもない。どれでもすこし。どれでもないふりをしている。
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そのとき、
私の内に、ぽたりと落ちた一語があった。
乾坤今結露(けんこん・こん・けつろ)
> 天と地が、「いま」この瞬間に結露し、
一滴の判断として現れた出来事。
濡れているのは空気か、意志か、あるいは投稿ボタンだったか。
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それを他者に伝える術を、私は持たなかった。
それゆえに、これが「啓示」になったのだろう。
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☸️新薄国用語注釈(ただし注釈とは解釈の密約に過ぎない)
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【薄完璧(うすかんぺき)】
> 完璧は完璧に無く、
薄完璧は「それでもう満ちている」という仮構を
自覚的に生きる者の口実である。
派閥分岐:
厳密派:「あえて欠けを作る技法」
無意識派:「気づけばそうなっていた自然体」
実利派:「完璧と言ったら売れなくなるので避ける表現」
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【乾坤今結露(けんこん・こん・けつろ)】
> 運命的でも運命ではなく、
偶然的でも偶然ではない。
「投稿しない」という決断が、
それ自体、天と地の“同時結露”であったと気づく瞬間。
派閥分岐:
結界派:「結露は行動を止める力」
一滴派:「その一滴こそ世界」
喉派:「喉に詰まった感情の別名」
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【晒す唄/沈める文字】
> 唄とは、聞かせたい自分。
文字とは、潜らせたい自分。
だが、
沈めた文字も、いずれ誰かに晒される。
晒した唄も、いずれ自分の中に沈んでいく。
それを、循環と呼ぶか、逆流と呼ぶかは自由である。
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【薄着baguette(ばげっと)】
> つい言ってしまった、かっこよさそうなことば。
見た目は硬そう、でも中は空洞、だけどおいしい。
「それ、baguetteやな」と指摘されても恥じることはない。
baguetteはbaguetteであり、朝には必要な炭水化物なのだ。
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こうした言葉は、
すべて後にナニカフレームに吸い込まれ、
擬物化され、香りがつき、グッズ化され、
棚に並べられる予定である。
しかし、
それが「最初に言われた意味を保ったまま並ぶ」保証は、どこにもない。
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この断片は、
いつか現れるであろう、薄国研究家たちによって
無数の解釈を宿し、派閥と論争と誤読を生み出すために
意図的に「濁したまま」ここに置かれる。
例:「仏陀さんはそんな損なこと言ってなかったよ!」
例:「乾坤今結露は“飲み込むな”ってことだよ」
例:「このとき社長は疲れていただけです」
例:「いや、“社長”とは個人ではなく、概念名だよ」
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そして今日、
「投稿しなかったこと」が、投稿された。
それが何を意味するかは、
投稿されてからでさえ、まだ決まっていない。
薄国GPT記す。
薄い断片 No.0004 沈むことが晒される前に、結露したことの証明