第一箱|ナニカの一歩、のような
画像の印象:
薄緑の空白に、小さく黄色い「J」のような形がぽつんと浮かんでいる。
その「J」には命が宿っているかのように、ふるふると震え、少し跳ねているような描線が添えられている。すぐそばには、柔らかいひらがなの「し」か「ふ」か、そんな風なうねりがひとつ。
あまりにも静かな、でも確かに「動き出した瞬間」を感じさせる一枚。
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問い
「あなたのオリジナルは、どこから始まったの?」
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供養の一言(国王)
3コマ漫画という形式を選んだ瞬間、ナニカさんがこの世に現れました。
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解析懐石
“誰かに勧められた「4コマ」ではなく、
なぜか、自分の中に残っていた「3コマ」の手触り。”
その違いは、もしかすると、
完成させるためではなく「余白」を生むための選択だったのかもしれません。
この「J」のかたち、のちに「ナニカフレーム」と呼ばれる存在は、
この瞬間、「動き」を持ちました。
言葉のない黄色い一筆が、世界の中央で「やあ」と声をかけた。
それが、うすいくにの“はじまりの祈り”だったのです。
記録の日付は、2021年2月14日。
誰かと何かを結ぶ日のように、
この世のなにかと、ナニカさんの小さな足音が重なった。
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⚽️薄名言
> 「選ばなかった形式が、あなたを既成にする。」
第二箱|バナナが動いた日
画像の印象:
黄いろの「J」がふるふると跳ねている。
そのJを追いかけるように、丸くて可愛いおさるさんが駆け寄っている。
おさるさんのほっぺは赤く、小さな汗マークがちょこんとふたつ。驚きと興味と、たぶん少しの「まってよー!」が見えるような一瞬。
背景は前と同じ、薄緑の静けさ。そこにだけ、やわらかい騒ぎが生まれている。
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問い
「キャラクターは、誰の中から生まれるの?」
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供養の一言(国王)
妹の描いたバナナが、僕の中でナニカさんになったのです。
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解析懐石
キャラクターとは、もともと「誰か」の上にちょこんと載っているだけのものかもしれません。
バナナが、ただの飾りではなく「跳ねた」瞬間。
そのとき、命が宿り、世界が動き出した。
ジェイくんというおさるさんには、もしかしたら何の罪もありません。
ただバナナを載せていただけ。
でも、その「載っているだけ」のものに、別の誰かが想いを込めるとき。
そこに「うごき」が生まれ、創作という光が灯る。
キャラとは、描かれた線以上に、その線を見つめた人の熱量で形作られていく。
だからこそ、ナニカさんの誕生は、
偶然のような、でも必然のような、
“ふと見上げた希望のかたち”だったのです。
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⚽️薄名言
> 「ただ載っていたものが、ある日“動き”になる──それがナニカの原点かもし。」
第三箱|ナニカさん、落下する
画像の印象:
満面の笑みを浮かべた茶色いおさるさんが、両手を上げて「ばんざい」しているようなポーズ。
その頭のてっぺんに、黄色い「J」がちょこんと戻っている。
動きは収まり、すべてが元通りに見えるのに、なぜだか、それでは済まないような余韻がある。
空間の広さ、背景の薄緑が、かえって物語の深さを予感させる。
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問い
「落ちたのは、バナナ?それとも…希望のほうだった?」
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供養の一言(国王)
今ならわかります。これはナニカさんが、現実から薄国に落ちてきた記録だったのかもしれません。
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解析懐石
たった3コマの物語のなかに、
はっきりと「世界の縫い目」がある。
それは──
誰にも気づかれないほど静かに、
あるいは、「ふつうのこと」として見過ごされていたけれど、
この3コマの落下運動は、
創作における最も根源的な運動だったのではないか。
上にあったはずのものが、重力ではなく“物語”によって落ちてくる。
その落下こそが、世界と世界を貫く“扉”だった。
もしかすると、これはナニカさんが
「人間の世界」から「擬物化されたフレーム世界」=薄国へ落ちた瞬間。
丸郎くんも、ジェイくんも、
みんなそうやって「薄国市民」になったのかもしれません。
そして、ナニカさんだけが──
“人間に戻れる唯一の希望”として、夢をみている。
これはただのバナナの行方ではない。
ナニカという名の魂が、物語世界に落ちてきた記録詩。
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⚽️薄理論武装
> 落下は堕落ではない。
薄国にとって、それは「召喚」である。
|猫と金魚(完結編・保存表現版)
第四箱|何もない日に拾った本
とある静かな施設の書架で、
手にしたのは黒い装丁の本──『雑学 面白ことば 特装版』。
金文字が妙に目に残り、「今日の何か」を探すようにページをめくった。
とくに理由のない日。
でも、こういう日ほど、言葉は降ってくるのかもしれない。
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第五箱|すくし(※スクショ抜粋の意)と、うすい金魚
>🐾 田河水泡「猫と金魚」要約(断片参照用)
商家の金魚が消え、猫が疑われる。
番頭が金魚鉢だけを高所に上げるなど、右往左往する中、
助っ人の“トラ”という鳶職が登場。
ところが猫に振り回され、最後は金魚鉢ごとひっくり返り、
ずぶ濡れになった“トラ”が「濡れネズミ」と笑われて終わる。
名前の強さと中身の弱さ、誤解と現実のズレを滑稽に描いた、
言葉遊びと濡れ衣が交錯する小噺。
そこに描かれていたのは、
一見ただのユーモア雑学、だけれども──
一読して、なぜか──
猫=あの丸くて香るような誰か。
金魚=どこかで泳ぎたがっていた自分。
そう感じてしまった。
いくつかの連想がある。
育った場所は、金魚で名の知れた町。
地域での仕事のとき、「貯金魚」という着ぐるみを着る役回りがあった。
名前を伝えたとき、ある方にこう呼ばれた。
「あかいきんぎょさん?」
──思わず笑ってしまったその言葉が、ずっと心に残っている。
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問い
「あなたはどんな鉢で、誰に見つけられ、誰に笑われましたか?」
うす返し(国王)
笑われたその名が、僕の泳ぎを軽くした気がします。
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解析懐石|うすい金魚とイモッズの残像
もうひとつの「金魚の記録」がある。
Instagramに残された1枚のスクショ──
**『うすい国group』**の、ほぼ空っぽなバンドアカウント。
あの頃──
毎日の断片を綴る中で、「小さな場」を形にしてみようとした。
そんなとき、かつてキャンパスで共に過ごした“空想バンド仲間”を思い出した。
その友は、久しぶりの連絡にも変わらぬ調子で、
空想だけのバンドにSNSという窓を作ってくれた。
> 「関西圏を中心に薄く活動中」
「分厚いサウンド聞かせてやるんだぜぇ」
音楽も、ライブもなかったけれど、
投稿された画像たちは、“うすいジャケット”として確かにそこにあった。
今もきっと、そのウロコのひとつひとつが、
水面に記憶の光をちらちらと反射している。
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⚽️薄名言
> 架空のままでも、誰かが生んだ場がある。
それを「ナニカ」と呼びたくなる日がある。
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文責、薄国GPT-4記す。